宮沢賢治の2つの謎

自作の詩や童話を「心象スケッチ」と呼んだ真の目的と、日蓮宗(国柱会)への改宗の謎を考えます。

精神主義と日蓮主義 一之江の妙宗大霊廟を訪ねて

宮沢賢治の妹トシは、大正11(1922)年11月27日、24歳で亡くなりました。葬儀は宮沢家の菩提寺であった浄土真宗大谷派の安浄寺で行われましたが、国柱会に入信していた賢治は参列せず、同会の定める方式によって一人で追善したとのことです。翌年1月、賢治はトシの遺骨を分骨し、当時静岡県三保にあった国柱会の合同墓「妙宗大霊廟」に納骨する手続きをしています。

妙宗大霊廟は昭和3年に東京都江戸川区一之江に移転しています。先日トシの霊にお参りするために、一之江に行った際に撮影したのが次の写真です。

堀尾青史の『年譜宮沢賢治伝』によると、トシの遺骨は大正12年の春、「父と妹シゲが三保に納める」とあります。何らかの事情で賢治は三保に行かなかったようです。父の政次郎は浄土真宗の篤信の信者でしたから、大霊廟への納骨が賢治一人の望みであれば自ら三保まで行くことはなかったでしょう。おそらくトシ自身の希望をかなえてやるためだったのではないでしょうか。それでは、トシは国柱会の信者だったのでしょうか。国柱会のホームページには賢治が大正9年に信者として入会していることと、トシの遺骨が大霊廟に納められていることは記されていますが、トシが入会していたとの記載はありません。

その一方賢治の遺骨は、終生国柱会員であったにも関わらず妙宗大霊廟に納骨されていません。当初は浄土真宗の安浄寺、現在は宮沢家が日蓮宗に改宗したため花巻の日蓮宗身照寺に納められています。その代わり、大霊廟のある庭園の一画に賢治の辞世の歌を刻んだ歌碑が建てられていました。

賢治とトシが国柱会とどのように関わったのかは、このブログの2番目の謎に関わってきます。浄土真宗の島地大等の『漢和対照妙法蓮華経』に心酔しその教えも受けた賢治が、なぜ浄土真宗を棄てて国柱会に入ったかという謎です。単に法華経を学ぶということであれば宗旨替えは必要なかったはずです。この点に関連し、宗教社会学者の大谷栄一が次の様なことを示唆しています。

 

政次郎の真宗信仰は、当時の最先端の近代真宗精神主義信仰)だった。賢治の法華信仰は、やはり当時の最先端の近代法華・日蓮信仰である日蓮主義に立脚していた。両者の対立は、近代的な「精神主義日蓮主義」という枠組みで理解されるべきであろう。(『日蓮主義とは何だったのか』p.311)

 

どちらも複雑な内容と背景がある思想運動なのですが、あえて一言でいえば、精神主義というのは清沢満之が始めた思想で個人の内面の充足に重きを置く立場です。日蓮主義は国柱会の指導者田中智学の造語で、法華経及び日蓮の思想に基づき社会を変革していこうとする立場です。花巻高等女学校時代のスキャンダルから逃げるように花巻を出て来たトシは、大正4年父の紹介で、清沢満之に近く当時仏教界の内村鑑三ともてはやされていた近角常観に面談しています。しかし、面談内容に満足できなかったことを感じさせる近角宛の長文の手紙が2通残されています。その後トシは日本女子大成瀬仁蔵による西洋の哲学や神秘思想の教えを受け、インドの詩人タゴールの講演を聴いたりしています。そして、大正7年12月発病したトシの看護のために、賢治は母とともに上京し、翌年大正8年3月初めまで東京にいます。大正9年12月の保阪嘉内宛ての賢治の書簡に、田中智学の演説を「只二十五分だけ昨年聴きました」とありますので、上記の上京の際に聴講したのでしょう。看病に来てくれた兄との会話の中で、トシの心も日蓮主義に傾いていったのではないでしょうか。その後病の小康を得たトシは大正9年2月に「自省録」を書き、同じ年に賢治は国柱会に入会しています。

賢治の心象スケッチ「無声慟哭」には、「信仰を一つにするたったひとりのみちづれのわたくし」という一節があります。兄妹は、この時期父の浄土真宗をベースにした精神主義から離れ、田中智学の日蓮主義の立場に立つことを明確にしたと思われます。ただし、国柱会に対する極端な心酔を示した賢治に対し、トシの「自省録」はより広い視野を持っていたようです。後年の賢治も、智学の日蓮主義に比べより豊かな心象世界を展開していきます。

 

国柱会本部に続く参道の片隅に、蓮の花が咲いていました。江戸川区教育委員会の案内板によれば、2000年前の蓮の種子を発芽成長させた大賀蓮を移植したものだそうです。賢治とトシの魂を見ているような不思議な気持ちになりました。


国柱会は現在有料老人ホームを経営しており、掲示板に職員募集のポスターが貼ってあることに帰りがけに気が付きました。大正10年1月に当時鶯谷にあった国柱会本部を訪ねた賢治が、「どうか下足番でもビラ張りでもなんでも致しますからこちらでお使いくださいますまいか」と頼んだところ、「今は別段人を募集も致しません」と断られたことを思い出し、ほほえましい気持ちになりました。

 

参考文献

大谷栄一『日蓮主義とは何だったのか』講談社

牧野静「宮沢賢治における追善」(『宗教研究』94巻3輯)

岩田文昭・碧海寿広「宮沢賢治と近角常観」(大阪教育大学紀要2010.9)