宮沢賢治の2つの謎

自作の詩や童話を「心象スケッチ」と呼んだ真の目的と、日蓮宗(国柱会)への改宗の謎を考えます。

2024-01-01から1年間の記事一覧

島地大等と大乗起信論

宮沢賢治は1911(明治44)年8月、宮沢一族が中心となって花巻近郊の大沢温泉で毎年行っていた夏期講習会で、島地大等(しまじだいとう、1875~1927)による「大乗起信論」の講話を聴いています。 大沢温泉には賢治も泊まった200年前の建物が残っています 大等…

メーテルリンクと交霊術

『春と修羅』が出版された際に、賢治によって削除された「青森挽歌 三」という作品に、以下のような一節があります。最愛の妹トシが死んだ翌月、雪の降る花巻の街を歩いていた賢治は、トシの幻影を見たのです。 その藍いろの夕方の雪のけむりの中で 黒いマン…

「青森挽歌」 魂のゆくえ

宮沢賢治の「青森挽歌」は、次のような言葉で始まります。 こんなやみよののはらのなかをゆくときは 客車のまどはみんな水族館の窓になる (乾いたでんしんばしらの列が せはしく遷つてゐるらしい きしやは銀河系の玲瓏レンズ 巨きな水素のりんごのなかをか…