宮沢賢治の2つの謎

自作の詩や童話を「心象スケッチ」と呼んだ真の目的と、日蓮宗(国柱会)への改宗の謎を考えます。

図書館幻想

宮沢賢治の作品に、「図書館幻想」というちょっと不気味な短編があります。図書館の10階でダルゲという名の怪人と会った話です。その図書館の建物は、現在も上野に「国際子ども図書館」として残っており、賢治が生きた頃は国立国会図書館の前身のひとつ「帝国図書館」でした。先日行ったときに撮った写真が次の画像です。1906年明治39年)に建てられたルネサンス様式の建物で、平成になって改修されましたが、前景は重厚な明治の面影をとどめています。

ダルゲのモデルは保阪嘉内という人物です。嘉内は、賢治が盛岡高等農林学校(現在の岩手大学農学部)時代、同人誌「アザリア」を立ち上げて将来共に進もうと誓い合った親友でした。しかし、1921年(大正10年)7月18日、二人はこの図書館で訣別しました。賢治が日蓮宗系在家仏教団体「国柱会」へ勧誘したのを嘉内が断ったからではないかと言われています。「図書館幻想」では10階で会ったことになっていますが、この建物は実際は3階建てです。賢治はその後、次の文語詩でこの時の体験をより客観的に記しています。一部をご紹介しましょう。

 

われはダルケと名乗れるものと*1

つめたく最後のわかれを交わし

閲覧室の三階より

白き砂をはるかにたどるここちにて

その地下室に下り来り

かたみに湯と水を呑めり

 

2階と3階の間の階段(「白き砂」は砂時計の砂のイメージでしょうか?)

3階は、現在はミュージアムとホールになっています。ミュージアムでは7月16日まで「「東洋一」の夢 帝国図書館展」が開催されていて、賢治の資料も展示されていました。かっての書庫はホールになっていて、窓からは東京国立博物館が見えます。浮世絵が好きな賢治は東京に来た際には博物館にもよく立ち寄ったようです。当時は地下に食堂がありましたが今はなく、1階に明るいカフェテリアとテラスがあります。

3階 ホール

保阪嘉内は賢治に先駆けて農村改革に情熱を傾けた人物で、賢治の生涯や作品に大きな影響を与えました。『銀河鉄道の夜』のカンパネルラのモデルと言う人もいます。賢治からの手紙を73通も整理して残してくれたため、貴重な資料となっています。それに対し賢治の方は、なぜか嘉内を含め自分が受け取った手紙の大半を処分してしまって残していません。図書館での訣別の後、嘉内からの手紙に応える手紙が3通残っていますが、それ以前の情熱的なものに比べ、やや事務的で素っ気ないものです。賢治の嘉内への関心が失せたのか、嘉内の人生への干渉を控えたためなのか、今となってはわかりません。しかし、この訣別の半年後から、賢治は『春と修羅』第1集から3集に収められる口語詩(心象スケッチ)を、猛然と書き始めます。

心象スケッチを始めるきっかけの一つになり、仏教をめぐり葛藤のあった保阪嘉内は、私の「宮沢賢治の2つの謎」を解くための重要な鍵のひとつと思っています。

先ほどの文語詩は、次の3行で結ばれています。

 

かくぞわれはその文に

ダルケと名乗る哲人と

永久のわかれをなせるなり

 

*1:「図書館幻想」と異なり濁音なしのダルケとなっている。『宮沢賢治全集8』ちくま文庫p.294より。