宮沢賢治の2つの謎

自作の詩や童話を「心象スケッチ」と呼んだ真の目的と、日蓮宗(国柱会)への改宗の謎を考えます。

『銀河鉄道の夜』とブルカニロ博士(自己)の消去

 「銀河鉄道の夜」は、宮沢賢治が『春と修羅』や『注文の多い料理店』を出版した1924(大正13)年から、37歳で亡くなる1933(昭和8)年までの約十年の間、4次にわたり改稿しながら未完成に終わった作品です。そのため4種類の原稿が残されており、その跡をたどることは賢治の思想を理解するためにとても重要です。そこで、4つの作品をエクセルで並べて比較対照してみようと思ったのですが、これがなかなか大変で進みませんでした。ところが、ありがたいことに『宮沢賢治銀河鉄道の夜」を読む』(西田良子編著、創元社)という本が図書館で見つかりました。本の見開きの上下に第1次稿から第4次稿の照応する個所を配し、参考資料や研究論文を加えたすばらしい労作です。現在絶版のようですが、アマゾンで中古が買えました。

 

同書を参考に、ストーリーと改稿の内容を私なりに次の表にまとめてみました。

 第一次稿から第三次稿までは1924年から1926年にかけて書かれており、第三次稿で一応のストーリーが成立しています。そして、遺書と「雨ニモマケズ」を書いた1931年から始めた第四次稿への改稿で、内容が大きく変化しています。最大の変更点は、主人公のジョバンニに催眠術をかけて幻想の銀河旅行を体験させたブルカニロ博士を消去したことです。そのために、第三次稿までなかった最初の3つの章を付け加え、主人公の性格もより素直なものに変わっているように感じられます。図表中の赤字で記したところが、第三次稿まで重要な役割を果たしながら、第四次稿で抹消されたブルカニロ博士の言動です。第五章の「天気輪の柱」の後半で博士は登場するのですが、肝心のジョバンニに催眠術をかけたと思われる部分は残されておらず、全集には「以下原稿五枚なし」と記載されています。

 博士は催眠術の中にいるジョバンニに寄り添い、時折「セロのような」声で語りかけます。そして、第三次稿の最後に夢の中にその姿を現します。「黒い大きな帽子をかぶった青白い顔の痩せた大人」と形容されており、有名な花巻農学校付近を散策する賢治の写真にそっくりです。冒頭の写真のペン立ての賢治像は、その写真をモデルにしたものです。そして、セロの声の人は、どこまでもいっしょに行こうと誓い合ったカムパネルラを見失ったジョバンニに、次のような思想を語ります。

(カムパネルラとは)いっしょに行けない。そしてみんながカムパネルラだ。……あらゆるひとのいちばんの幸福をさがし、みんなといっしょに早くそこに行くがいい、そこでばかりおまえはほんとうにカムパネルラといつまでもいっしょに行けるのだ。

 溺れた級友のザネリを救うため死んだカムパネルラにこだわるジョバンニに対し、「みんながカムパネルラだ」という意味は、人はみな共通の魂(仏性)を持つ存在であり、みんなが最愛の友と同じ魂(仏性)を持っているのだという思想です。これは、『春と修羅』の「序」にあった「すべてがわたくしの中のみんなであるやうに/みんなのおのおののなかのすべてですから」に相当します。

おまえは化学をならったろう、水は酸素と水素からできているということを知っている。……実験してみるとほんとうにそうなんだから。……みんながめいめいじぶんの神さまがほんとうの神さまだというだろう、けれどもお互いほかの神さまを信ずる人たちのしたことでも涙がこぼれるだろう。……もしおまえがほんとうに勉強して実験でちゃんとほんとうの考えと、うその考えとを分けてしまえば、その実験の方法さえきまれば、もう信仰も化学と同じようになる。

 これは、「農民芸術概論綱要」の「近代科学の実証と求道者たちの実験とわれらの直観の一致に於いて論じたい」に相当します。「信仰も化学と同じようになる」とは、決して「信仰も化学(科学)に解消される」ということではなく、宗教が違っても正しい考えの道筋をたどれば正しい結論に至るという「ほかの神様を信ずる人たち」の世界観を認める立場です。この思想は、アメリカの心理学者・哲学者であるウィリアム・ジェイムズの「プラグマティズム」と関係があるように私には思われます。賢治は出版されなかった『春と修羅 第二集』にある「林学生(1924/6/22)」という作品に「それは潰れた赤い信頼!/天台、ジェームスその他によれば」という詩句を残しています。W・ジェイムズ(1842-1910)は大正時代の心理学書には必ず取り上げられており、夏目漱石西田幾多郎にも大きな影響を与えています。岩波茂雄宛の手紙に、岩波書店の哲学や心理学の書籍を「貪るように読みたい」と書いた賢治は、必ずやジェイムズの著作を読んでいたはずです。

いいかい、これは地理と歴史の辞典だよ。この本のこの頁はね、紀元前二千二百年の地理と歴史が書いてある。……。そしてこの中に書いてあることは紀元前二千二百年ころにはたいてい本当だ。さがすと証拠もぞくぞく出ている。けれども……。紀元前一千年。だいぶ、地理も歴史も変わってるだろう。このときには斯うなのだ。                   

 これは、『春と修羅』の「序」の「記録や歴史 あるいは地史といふものも/それのいろいろの論料データといつしよに/(因果の時空的制約のもとに)/われわれがかんじてゐるのに過ぎません/おそらくこれから二千年もたつたころは/それ相当のちがつた地質学が流用され/相当した証拠もまた次次過去から現出し…」に相当します。固定された、絶対の真理はないという、W・ジェイムズの「多元的宇宙」に通ずる思想だと思います。

あゝあごらん、あすこにプレシオスが見える。おまえはプレシオスの鎖を解かなければならない。……。さあ、切符をしっかり持っておいで。お前はもう夢の鉄道の中ではなしに本統の世界の火やはげしい波のなかを大股にまっすぐに歩いて行かなければいけない。

 プレシオスはプレアデス(昴)からの連想で、星の連なった散開星団を鎖にたとえてこの世界の不幸という難問を解くことをジョバンニに託した言葉といわれています。また、旧約聖書ヨブ記の「すばるの鎖を引き締め オリオンの綱を緩めることがお前にできるか(38-31、新共同訳)」という言葉に関係しているとの説を『宮澤賢治語彙辞典』は紹介しています。しかし私には、結び目を解けばアジアを支配できるとされた紐を、アレクサンダー大王が一刀のもとに断ち切り征服者となったという「ゴルディアスの結び目」の方が内容的には近いように思われます。賢治は、プレアデスとゴルディアスから「プレシオス」を造語したというのは考えすぎでしょうか。しかし、賢治自身の「プレシオスの鎖」はすっぱりとは解けなかったようなのです。彼は第三次稿を放棄し、この言葉自体を消去して第四次稿を書かざるをえませんでした。

 そして、セロの声の人とともに銀河鉄道の世界は消え、ジョバンニは元の丘の上に立っていました。ブルカニロ博士が現れて「ありがとう。私はたいへんいい実験をした。私はこんなしずかな場所で遠くから私の考えを人に伝える実験をしたいとさっき考えていた。お前の言った語はみんな私の手帳にとってある。さあ帰っておやすみ。お前は夢の中で決心したとおりまっすぐに進んで行くがいい。」と言って、ジョバンニの銀河鉄道の旅が、催眠術による実験であることを明かします。 

 銀河鉄道の世界はブルカニロ博士の催眠術による心理学的実験だったというのが、第三次稿の骨子です。そして、博士の言葉はちょうど第三次稿を書いた1926年頃、農学校の教師を辞め羅須地人協会を始めた元気で意気盛んな頃の賢治の思想です。吉本隆明も『宮沢賢治』の中で、「自分の理念の中心を作中のブルカニロ博士の言葉として語らせたのだとしたら…」と述べています。博士は賢治の思想の代弁者であり、黒い帽子を被った写真の通りの賢治の分身だったのです。

 しかし、賢治は晩年の第四次稿でその自分の分身であるブルカニロ博士と「セロの声」を全て抹消してしまいます。多くの人達が現在読むのは第四次稿で、銀河鉄道の旅は催眠術による実験ではなくジョバンニの夢として描かれています。作品としては美しくよくまとまったすてきな物語です。しかし、賢治の思想は背後に隠れてしまい、単なる美しいファンタジーとして読み流されてしまう作品になってしまったのではないでしょうか。それは、修羅としての自己の消去、『春と修羅』の「序」の思想の放棄なのでしょうか。                      
 私はこう考えます。賢治は「序」の思想を人々に伝え、理解してもらいたいと願った。しかし、「序」の思想は難解で、かつ言語で説明することが困難な内容であったため、ジェイムズらの心理学を借りて伝えることを企図し、それを「或る心理学的仕事」と呼んだ。「心象スケッチ」はそのための準備であり、「銀河鉄道の夜(第三次稿)」は童話の形を借り、ブルカニロ博士に仮託して賢治自身の思想を伝える思考実験だった。しかし、彼は第三次稿を書いてみて、「語り得ないこと」は童話の登場人物に言わせても伝わらないことを改めて感じたのではないでしょうか。

 ブルカニロ博士の声は結局賢治自身の声で、読者に彼の思想を主体的に理解させることは出来ないということに気づいた彼は、「雨ニモマケズ手帳」に、作品執筆に際しては「断ジテ教化ノ考ヘタルベカラズ!」と自戒の言葉を記しています。しかし、ブルカニロ博士が消去された第四次稿では、初めて読んだ読者には賢治の思想は充分には伝わらないのではないでしょうか。

 以上を踏まえ、何人かの研究者たちの考えを参考にすると、「銀河鉄道の夜」の改稿に関しては次の3つの見方が存在するように思えます。
①第三次稿と第四次稿を合わせ読むことにより、賢治の文学は理解される。
②第三次稿でめざした思想の伝達を不可能として断念し、挫折した。
③第三次稿と第四次稿を統合した完成作品(第五次稿?)をめざしたが、彼の寿命が許さなかった。

 私は、賢治は③をめざしたかったのだと思います。言語で思想を語らなくても、読者が自然に賢治の思想を理解できるものができたなら、それは素晴らしい作品になったでしょう。しかし、現実にそれがかなわなかった以上、私たちは二つの「銀河鉄道の夜」を読むことにより、私たちの心の中で作品を完成させることを楽しむべきなのかもしれません。

 賢治は、「銀河鉄道の夜」の第四次稿で自己(ブルカニロ博士)を消去したように、晩年盛んに作った文語詩の中でも自己を消去していきます。次回は、散文、口語詩、文語詩の3つの形で作られた「図書館幻想」をもう一度取り上げて、文語詩の謎を考えていきたいと思います。

花巻駅近くにある岩手軽便鉄道の案内パネル

出典・参考文献
・西田良子編著『宮沢賢治銀河鉄道の夜」を読む』創元社 2003
吉本隆明宮沢賢治ちくま学芸文庫 1996
・『宮沢賢治全集7』ちくま文庫 1985